福井県議会議員 西本正俊 Official Web site

プロフィール

「あなたに託してよかった!」の笑顔のために…。よき隣人、よきパートナーであり続けたい。
政党と県議会会派を離れ、無所属で活動させていただくことと致しました。
政党と会派を離れることにより出来た時間を大切にし、引き続きひとつでも多く地域を歩かせていただきます。
その中で県民の皆様のお声をしっかりとお聞きして若狭地域と県政のパイプ役に専念し、
更なる若狭地域の発展と県民皆様の福祉向上のために全身全霊を傾注してまいります。
如何様な案件であってもお気軽にお声をお掛けいただければ、
まずはしっかりとお話を伺い、その実現に向け最大限の活動をさせていただきます。

無所属での活動について
県議会議員としての活動に不利益を生じるものではありません。例えば、一般質問、常任及び特別委員会での発言機会の制限は一切ありません。唯一の機会が無くなるものとして代表質問がありますが、これは一般質問や各委員会でも十二分に議論が出来るものです。
昭和33年7月小浜市にて誕生。

父 西本清行、母 住枝の長男として小浜市今宮にて誕生。
正しく賢い人間にという想いから、正俊と名付けられました。
とても元気だったと聞いています。

昭和40年4月小学校

巨人、大鵬、卵焼きの時代で、勉強はあまり得意ではなく野球少年でした。
当時、父が地元の議員の後援会会長を務めており、選挙での活動などを見て、
子供ながらに「かっこいいな」と憧れていました。

昭和46年4月中学校

当時一世を風靡していた、ジャズトランペッター、ニニ・ロッソに憧れブラスバンド部に入る。
やはり勉強は二の次で、トランペットの魅力に取りつかれていました。

昭和49年4月高校

父が測量会社を経営しており、家業を継ぐため農業土木科に入る。
引き続きブラスバンド部に入り、トランペットやテナーサックスを演奏。
3年生の時には応援団長になり、グループのリーダーの責任や面白さを経験しました。

昭和52年4月大学

工学部土木工学科に入学し、土木の専門家を目指しました。
初めての一人暮らしで、親のありがたみを感じました。
4年間、大学やアルバイトを通じていろんな友人に出会い、有意義な時を過ごしました。

昭和56年4月社会人

大学卒業後、名古屋に就職するも1ヶ月で父が亡くなり、急遽小浜に戻り家業を継ぐことに。
23才にして経営を任されることになりました。
社員全員の助けもあり、測量士としての仕事や、土木設計、営業と無我夢中で取り組みました。

昭和61年0月小浜市議会議員選挙に初当選。

縁あって若狭青年会議所に入会。地域の発展やボランティアに取り組みました。
30代の頃、地元政治家の後援会に入会、子供の頃の父の姿を思い出しながら、
徐々に政治の世界へ興味を持ち始めました。

平成11年4月小浜市議会議員補欠選挙に当選(2期目)。

私にも地域のためにできることがある!と決意。
周囲の猛反対を押し切り、しかも会社も叔父にまかせて退職し退路を断ち、
小浜市議会議員選挙に挑む。
地元の皆様の多大なる応援と、がむしゃらに戦った結果、初挑戦で初当選を果たす。

平成15年4月福井県議会議員選挙に初当選。

2期目を目指し小浜市議会議員選挙に挑むも6票差で落選。
自分の力のなさを痛感し、地元を歩き皆様の声を聞きながら、
「また頑張れ!」との言葉を頂き再起を期す。
平成16年7月に小浜市議会議員補欠選挙に立候補し当選。2期目がスタートしました。

平成19年4月政党と県議会会派を離れ、無所属での活動を開始。

市議2期で様々な経験を積ませて頂き、もっと小浜のために役立ちたいとの思いから、
福井県議会議員選挙に挑戦。皆様のおかげで当選を果たすことができました。
医療、福祉、小浜の県立高校の再編、観光・地場振興や
琵琶湖若狭湾快速鉄道の実現に向けての活動など、
「若狭の発展なくして福井県の発展なし」の思いで、4年間取り組んできました。

平成23年4月政党と県議会会派を離れ、無所属での活動を開始。

若狭の地域力向上、嶺南と嶺北の格差是正を目指し2期目の挑戦がスタート。
4年間の実績を生かし若狭・小浜のために何をすべきかを考え、
課題をひとつひとつ解決しています。
「地域密着活動」を胸に、誠実さとスピードをもって皆様のご期待に応えていきます。